明け方近くに山月記を読み返す🌘⛰🐅

1 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 04:57:56.81 ID:rjq+qy1e0.net
🐯・・・

28 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:11:02.43 ID:jLhz7lUS0.net

最後まで傑作を残せないんだよなあ

12 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:03:05.09 ID:rjq+qy1e0.net

 今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊つた夜のこと、一睡してから、ふと眼を覺ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでゐる。聲に應じて外へ出て見ると、聲は闇の中から頻りに自分を招く。覺えず、自分は聲を追うて走り出した。

無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走つてゐた。何か身體中に力が充ち滿ちたやうな感じで、輕々と岩石を跳び越えて行つた。氣が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じてゐるらしい。

3 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 04:58:58.69 ID:rjq+qy1e0.net

 隴[ろう]西の李徴は博學才穎[さいえい]、天寶の末年、若くして名を虎榜[こぼう]に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。

いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢[くわく]略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。

42 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:20:02.03 ID:rjq+qy1e0.net

ナポレオン 中島敦

27 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:10:55.86 ID:rjq+qy1e0.net

人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己れの場合、この尊大な羞恥心が猛獸だつた。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形を斯くの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。

今思へば、全く、己れは、己れの有つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。
人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己れの凡てだつたのだ。

己れよりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己れは漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己れは今も胸を灼かれるやうな悔を感じる。

43 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:21:10.54 ID:rjq+qy1e0.net

「ナポレオンを召捕りに行くのですよ」と若い警官が私に言つた。パラオ南方離島通ひの小汽船、國光丸の甲板の上である。

「ナポレオン?」
「ええ、ナポレオンですよ」と若い警察官は私の驚きを期待してゐたやうに笑ひながら言つた。「ナポレオンといつても、島民ですがね。島民の子供の名前です。」

 島民には隨分變つた名前が色々とある。昔は基督教の宣教師に命名して貰ふことが多かつたので、マリヤとかフランシスなどといふのが多く、又、以前獨逸領だつた關係からビスマルクなどといふのも時にあつたが、ナポレオンは珍しい。
しかし、私の知つてゐる他の島民の名前、シチガツ(七月に生れたのであらう)、ココロ(心?)、ハミガキ等に比べれば、何といつても堂々たる名前には違ひない。もつとも、その餘り堂々とし過ぎてゐる點が可笑しいのには違ひないが。

 甲板に張られたカンワ゛スの日覆の下で、私は色の黒い不良少年、ナポレオンの話を聞いた。

2 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 04:58:04.28 ID:rjq+qy1e0.net

山月記 中島敦

38 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:17:46.03 ID:rjq+qy1e0.net

>>28
作の巧拙は知らず、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執著した所のものを一部なりとも後代に伝えないでは死んでも死に切れないっていっとるやろ

伝えたところで死んでも死に切れないのは変わらないやろけど

33 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:12:31.68 ID:eJu6EJ4Ka.net

>>31
死ね

32 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:12:07.39 ID:slICTj410.net

待ってた

8 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:00:46.10 ID:rjq+qy1e0.net

其の聲に袁傪は聞き憶えがあつた。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が友、李徴子ではないか?」

袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かつた李徴にとつては、最も親しい友であつた。温和な袁傪の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかつたためであらう。

 叢の中からは、暫く返辭が無かつた。しのび泣きかと思はれる微かな聲が時々洩れるばかりである。ややあつて、低い聲が答へた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

44 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:22:24.38 ID:rjq+qy1e0.net

 ナポレオンは二年前迄コロールの街にゐたのだが、公學校三年生の時、年下の女の兒にひどく惡性の嗜虐症的な惡戲をして、其の兒を殆ど死に瀕せしめたといふ。
其の他之に類する事件を二つ三つ引起し、更に竊盜なども働いたらしく、一昨年十三歳の時に、未成年者への罰として、コロールから遙か離れた南方のS島へ流されたのである。

名目上はパラオ諸島に屬してゐるものの、之等南方離島は地質的にも全然別の島だし、住民もずつと東方の中央カロリン系のものなので、言語習慣もパラオとはまるで變つてゐる。
流石の惡少年ナポレオンも最初は大分閉口したらしいが、環境に適應する(といふより之を克服する)不思議な才能を備へてゐると見え、半年も經たぬ間に、S島でももてあます跳梁ぶりを示し始めた。

島の少年共を脅迫したり、娘や人妻に怪しからぬ振舞をして困るからとの陳情が、島の村長から大分前にパラオ支廳の方へ來てゐるといふ。そんな惡少年は島の内で制裁すればいいと思はれるのに、それがどうして、島の成人[おとな]達が逆に怯えてゐる有樣なのださうだ。

S島は人口も極めて少く、それも年々減少しつゝある、謂はば廢島に近い島なのだが、僅か十五六歳の少年一人を抑へかねる程、住民等も元氣が無いのであらうか。

48 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:24:48.98 ID:AxwhsKUBa.net

>>35
あれその詩でさえも昔の名文のパクリがわかってあまりの救えなさやるせなさで友人がほろほろ泣くんやなかったっけ
サンガツ記をモチーフにした二次創作だったか

24 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:09:23.03 ID:rjq+qy1e0.net

>>21
ほんまにこの声は李徴なんか?

25 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:09:55.72 ID:rjq+qy1e0.net

 時に、殘月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に曉の近きを告げてゐた。人々は最早、事の奇異を忘れ、肅然として、この詩人の薄倖を嘆じた。李徴の聲は再び續ける。

 何故こんな運命になつたか判らぬと、先刻は言つたが、しかし、考へやうに依れば、思ひ當ることが全然ないでもない。

人間であつた時、己れは努めて人との交を避けた。人々は己れを倨傲だ、尊大だといつた。實は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかつた。
勿論、曾ての郷黨の秀才だつた自分に、自尊心が無かつたとは云はない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであつた。

21 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:07:33.76 ID:n6K1Rvmn0.net

その声…李徴か?

53 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:32:39.18 ID:rjq+qy1e0.net

 此の島には三時間しか泊らないことになつてゐる。私は上陸しないことにした。ひとへに暑さを恐れたためである。

 晝食を下で濟ませてから、又甲板へ上つて來た。外海の濃藍色とは全然違つて、堡礁リーフ内の水は、乳に溶かした翡翠だ。船の影になつた所は、厚い硝子の切斷部のやうな色合に、特に澄み透つて見える。

エンヂェル・フィッシュに似た黒い派手な竪縞のある魚と、さよりの樣な飴色の細い魚とが盛んに泳いでゐるのを見下してゐる中に、眠くなつて來た。先刻警官の睡つた寢椅子に横になると、直ぐに寢て了つた。

29 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:11:14.63 ID:rjq+qy1e0.net

己れには最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己れが頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。

まして、己れの頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己れの空費された過去は? 己れは堪らなくなる。

さういふ時、己れは、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。

7 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:00:19.00 ID:rjq+qy1e0.net

 翌年、監察御史、陳郡の袁傪[ゑんさん]といふ者、勅命を奉じて嶺南に使し、途に商於[しやうを]の地に宿つた。

次の朝未だ暗い中に出發しようとした所、驛吏が言ふことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白晝でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでせうと。袁傪は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、驛吏の言葉を斥けて、出發した。

殘月の光をたよりに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あはや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。

37 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:15:18.84 ID:rjq+qy1e0.net

 言終つて、叢中から慟哭の聲が聞えた。袁傪も亦涙を泛べ、欣んで李徴の意に副ひ度い旨を答へた。李徴の聲は併し忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻つて、言つた。

 本當は、先づ、この事の方を先にお願ひすべきだつたのだ、己れが人間だつたなら。飢ゑ凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を氣にかけてゐる樣な男だから、こんな獸に身を墮すのだ。

 さうして、附加へて言ふことに、袁傪が嶺南からの歸途には決して此の途を通らないで欲しい、其の時には自分が醉つてゐて故人を認めずに襲ひかかるかも知れないから。

又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上つたら、此方を振りかへつて見て貰ひ度い。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇らうとしてではない。我が醜惡な姿を示して、以て、再び此處を過ぎて自分に會はうとの氣持を君に起させない爲であると。

51 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:29:28.07 ID:iB/w4Dl20.net

朝のタイガーマスクスレ

51 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:29:28.07 ID:iB/w4Dl20.net

朝のタイガーマスクスレ

50 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:26:45.14 ID:rjq+qy1e0.net

 底拔けの上天氣である。何といふ光り輝く青さだらう、海も空も。
澄み透る明るい空の青が、水平線近くで、茫と煙る金粉の靄の中に融け去つたかと思ふと、其の下から、今度は、一目見ただけで忽ち全身が染まつて了ひさうな華やかな濃藍の水が、擴がり、膨らみ、盛上つて來る。

内に光を孕んだ豐麗極まりない藍紫色の大圓盤が、船の白塗の欄干てすりの上になり下になりして、とてつもなく大きく高く膨れ上り、さて又ぐうんと低く沈んで行く。

紺青鬼[こんじやうき]といふ言葉を私は思出した。それがどんな鬼か知らないが、無數の眞蒼な小鬼共が白金の光耀粲爛たる中で亂舞したら、或ひは此の海と空の華麗さを呈するかも知れないと、そんなとりとめない事を考へてゐた。

 暫くして、餘りの眩ゆさに海から眼を外らして前を見ると、つい先刻まで私と話してゐた若い警官は、布製の寢椅子に凭つたまゝ、既に快げな寢息を立ててゐた。

11 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:02:26.20 ID:rjq+qy1e0.net

 後[あと]で考へれば不思議だつたが、其の時、袁傪は、この超自然の怪異を、實に素直に受容れて、少しも怪まうとしなかつた。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立つて、見えざる聲と對談した。

都の噂、舊友の消息、袁傪が現在の地位、それに對する李徴の祝辭。青年時代に親しかつた者同志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至つたかを訊ねた。草中の聲は次のやうに語つた。

45 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:22:58.49 ID:rjq+qy1e0.net

 私と今話してゐる警察官がナポレオンを召捕りに來たのは、此の少年に改悛の情無しと見たパラオ支廳の警務課が、彼の流刑の期間を延長し、その上流竄地をS島よりも更に南方遙か隔たつたT島に變更することに決めたためである。

警官は、此の用件と、もう一つ僻遠諸離島の人頭税取立てとを兼ねて、一人の島民巡警を引連れ、内地人の乘ることなど殆ど無い・そして年に僅か三囘位しか通はない此の離島航路の小船に乘つたのであつた。

17 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:05:47 ID:rjq+qy1e0.net

 それ以來今迄にどんな所行をし續けて來たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず數時間は、人間の心が還つて來る。さういふ時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雜な思考にも堪へ得るし、經書の章句をも誦ずることも出來る。
その人間の心で、虎としての己の殘虐な行のあとを見、己の運命をふりかへる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。

しかし、その、人間にかへる數時間も、日を經るに從つて次第に短くなつて行く。今迄は、どうして虎などになつたかと怪しんでゐたのに、此の間ひよいと氣が付いて見たら、己れはどうして以前、人間だつたのかと考へてゐた。之は恐しいことだ。

18 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:06:40.43 ID:rjq+qy1e0.net

>>13
冬至とはいえこのスレが落ちて1時間半もすれば朝日や

31 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:12:03.16 ID:rjq+qy1e0.net

己れは昨夕も、彼處で月に向つて咆えた。誰かに此の苦しみが分つて貰へないかと。

しかし、獸どもは己れの聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己れの氣持を分つて呉れる者はない。

恰度、人間だつた頃、己れの傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。己れの毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

30 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:11:52.28 ID:QVzmx/w50.net

>>23
七言律詩は第一句末も押韻しなければならないのにそうなってない
こんなんで詩の才が認められるか

39 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:17:57.64 ID:rjq+qy1e0.net

 袁傪は叢に向つて、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上つた。叢の中からは、又、堪へ得ざるが如き悲泣の聲が洩れた。袁傪も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出發した。

26 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:10:28.40 ID:rjq+qy1e0.net

己れは詩によつて名を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交つて切磋琢磨に努めたりすることをしなかつた。かといつて、又、己れは俗物の間に伍することも潔しとしなかつた。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。

己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。己れは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによつて益々己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。

19 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:07:00 ID:rjq+qy1e0.net

今少し經てば、己れの中の人間の心は、獸としての習慣の中にすつかり埋れて消えて了ふだらう。恰度、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋沒するやうに。
さうすれば、しまひに己れは自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂ひ廻り、今日の樣に途で君と出會つても故人と認めることなく、君を裂き喰うて何の悔も感じないだらう。
一體、獸でも人間でも、もとは何か他のものだつたんだらう。初めはそれを憶えてゐたが、次第に忘れて了ひ、初めから今の形のものだつたと思ひ込んでゐるのではないか? 

4 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 04:59:41.49 ID:rjq+qy1e0.net

數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。

一方、之は、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として齒牙にもかけなかつた其の連中の下命を拜さねばならぬことが、往年の儁[しゆん]才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。

彼は怏々として樂しまず、狂悖[はい]の性は愈々抑へ難くなつた。

34 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:12:53.09 ID:AxwhsKUBa.net

虎になって逃げたいというところがすでに甘え

10 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:02:10.16 ID:rjq+qy1e0.net

 袁傪は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懷かしげに久濶を叙した。そして、何故叢から出て來ないのかと問うた。

李徴の聲が答へて言ふ。自分は今や異類の身となつてゐる。どうして、おめゝゝと故人の前にあさましい姿をさらせようか。且つ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決つてゐるからだ。

しかし、今、圖らずも故人に遇ふことを得て、愧赧[きたん]の念をも忘れる程に懷かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜惡な今の外形を厭はず、曾て君の友李徴であつた此の自分と話を交して呉れないだらうか。

16 :大橋 :2019/12/23(月) 05:04:49.97 ID:HKqastjR0.net

カッスレで頼むわ

23 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:08:30 ID:rjq+qy1e0.net

 舊詩を吐き終つた李徴の聲は、突然調子を變へ、自らを嘲るが如くに言つた。

 羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己れは、己れの詩集が長安風流人士の机の上に置かれてゐる樣を、夢に見ることがあるのだ。
岩窟の中に横たはつて見る夢にだよ。嗤つて呉れ。詩人に成りそこなつて虎になつた哀れな男を。(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いてゐた。)

さうだ。お笑ひ草ついでに、今の懷を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きてゐるしるしに。

 袁傪は又下吏に命じて之を書きとらせた。その詩に言ふ。

偶因狂疾成殊類  災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵  當時聲跡共相高
我爲異物蓬茅下  君已乘軺氣勢豪
此夕溪山對明月  不成長嘯但成嘷

49 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:25:00.74 ID:rjq+qy1e0.net

「晝頃にはS島に着くやうなことを船長は言つとつたが、此の間みたいに半日も流されて、行過ぎとるなんてことがあるから、あてにはなりませんなあ。」

 警官は話を換へて、そんなことを言ひ、伸びをしながら、眼を海の方に向けた。私も亦それにつられて、何といふこともなく、目を細くして眩しい海と空とを眺めた。

20 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:07:18.67 ID:rjq+qy1e0.net

いや、そんな事はどうでもいい。己れの中の人間の心がすつかり消えて了へば、恐らく、その方が、己れはしあはせになれるだらう。だのに、己れの中の人間は、その事を、此の上なく恐しく感じてゐるのだ。
ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思つてゐるだらう! 己れが人間だつた記憶のなくなることを。

この氣持は誰にも分らない。誰にも分らない。己れと同じ身の上に成つた者でなければ。所で、さうだ。己れがすつかり人間でなくなつて了ふ前に、一つ頼んで置き度いことがある。

41 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:18:19 ID:rjq+qy1e0.net

(昭和17年2月發表)

40 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:18:08.99 ID:rjq+qy1e0.net

 一行が丘の上についた時、彼等は、言はれた通りに振返つて、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失つた月を仰いで、二聲三聲咆哮したかと思ふと、又、元の叢に躍り入つて、再び其の姿を見なかつた。

15 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:04:32.16 ID:rjq+qy1e0.net

自分は初め眼を信じなかつた。次に、之は夢に違ひないと考へた。夢の中で、之は夢だぞと知つてゐるやうな夢を、自分はそれ迄に見たことがあつたから。
どうしても夢でないと悟らねばならなかつた時、自分は茫然とした。さうして、懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。

しかし、何故こんな事になつたのだらう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取つて、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

自分は直ぐに死を想うた。しかし、其の時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。

再び自分の中の人間が目を覺ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばつてゐた。之が虎としての最初の經驗であつた。

46 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:24:03.02 ID:rjq+qy1e0.net

「ナポレオン先生、大人しく此の船に乘せられて、T島に移りますかな?」と私が言ふと、「なあに、いくら惡[わる]だと云つたつて、たかが島民の子供ぢやないですか。問題ぢやない」と警官がむきになつて答へた。

其の聲に、今迄の會話の調子と違つて、意外にも若干の憤激の調子が感じられ、ああ、私の今の言葉は島民の前には絶對權威をもつ警官への多少の侮蔑に當るのかも知れぬと氣が付いた。

14 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:04:22.01 ID:rjq+qy1e0.net

少し明るくなつてから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となつてゐた。

22 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:07:53 ID:rjq+qy1e0.net

 袁傪はじめ一行は、息をのんで、叢中の聲の語る不思議に聞入つてゐた。聲は續けて言ふ。

 他でもない。自分は元來詩人として名を成す積りでゐた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至つた。曾て作る所の詩數百篇、固より、まだ世に行はれてをらぬ。遺稿の所在も最早判らなくなつてゐよう。

所で、その中、今も尚記誦せるものが數十ある。之を我が爲に傳録して戴き度いのだ。
何も、之に仍つて一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂はせて迄自分が生涯それに執著した所のものを、一部なりとも後代に傳へないでは、死んでも死に切れないのだ。

 袁傪は部下に命じ、筆を執つて叢中の聲に隨つて書きとらせた。李徴の聲は叢の中から朗々と響いた。長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一讀して作者の才の非凡を思はせるものばかりである。

しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次の樣に感じてゐた。成程、作者の素質が第一流に屬するものであることは疑ひない。しかし、この儘では、第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺ける所があるのではないか、と。

9 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:01:43 ID:rjq+qy1e0.net

>>6
ワイは発達障害ではない
山月記をおもちゃにされてイライラするのはわかるがたかだか小説にそこまで入れ込んでもしゃーないよ

5 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 04:59:48.38 ID:rjq+qy1e0.net

一年の後、公用で旅に出、汝水[ぢよすい]のほとりに宿つた時、遂に發狂した。

或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。

47 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:24:32.86 ID:rjq+qy1e0.net

 S島がナポレオンの存在に困るからとて、T島にやつたのでは、同じ樣な無氣力者の寄合に違ひないT島でも矢張この少年に手古摺るに違ひない。もつと他に何か方法は無いものか。たとへばコロールの街で嚴重な監視の下に勞役に從はせるとか、さういふ風な。

それに、一體、此の流刑といふ古風な刑罰を少年に課してゐるのは、どういふ法律なのだらう? 日本人の籍をもたぬ彼等島民、殊に其の未成年者には、どんな法律が設けられてゐるのだらう? 

同じ南洋の官吏でゐながら、まるで方面違ひの、おまけに極く新米の私は、そんな事に全然無知だつたので、少し訊ねて見たかつたのだが、相手の機嫌を幾らか損じたらしい際でもあり、傍にゐる島民巡警への顧慮も手傳つて、それは控へることにした。

35 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:14:17.21 ID:rjq+qy1e0.net

>>30
それはそうなんやけどこの詩を作ったの昔の中国人やから実際出来がどうなんかはわからん
型を破った詩でも才能は感じさせるのかもしれんし才能はないけどいい詩やなってこともあるかも知れんやん

52 :風吹けば名無し:2019/12/23(月) 05:32:06.85 ID:rjq+qy1e0.net

 午近く、船は珊瑚礁の罅隙の水道を通つて灣に入つた。S島だ。黒き小ナポレオンのゐるといふエルバ島である。

 低い・全然丘の無い・小さな珊瑚島だ。緩く半圓を描いた渚の砂は――珊瑚の屑は、餘りにも眞白で眼に痛い。

年老いた椰子樹の列が青い晝の光の中に亭々と聳え立ち、その下に隱見する土人の小舍がひどく低く小さく見える。二三十人の土民男女が濱に出て、眼をしかめたり小手を翳したりしながら、我々の船の方を見てゐる。

 潮の關係で、突堤には着けられなかつた。岸から半丁程離れて船が泊ると、迎への獨木舟[カヌー]が三隻水を切つて近寄つた。見事に赤銅色をした逞しい男が、眞赤な褌一つで漕いで來る。近付くと、彼等の耳に黒い耳輪の下つてゐるのが見えた。

「では、行つて來ます」と警官はヘルメットを手に取りながら挨拶し、巡警を從へて甲板から降おりて行つた。